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大阪地方裁判所 昭和34年(ヨ)2688号 判決 1962年5月11日

申請人 伊藤巳之松

被申請人 株式会社田中電機製作所

主文

被申請人は申請人をその従業員として取扱い、かつ申請人に対し金五〇四、〇〇〇円及び昭和三七年二月一日以降一ケ月金一四、〇〇〇円の割合による金員を毎月末日限り支払え。

申請人のその余の申請を棄却する。

訴訟費用は被申請人の負担とする。

(注、無保証)

事実

第一、申請人の主張

申請人訴訟代理人は、「被申請人は申請人をその従業員として取扱い、かつ昭和三四年二月一日以降一ケ月金二〇、九四九円の割合による金員を毎月末日限り支払え。訴訟費用は被申請人の負担とする。」

との判決を求め、その理由として、次のとおり述べた。

一、被申請人(以下単に会社ともいう)は、昭和一七年三月設立され、従業員約三一〇人を擁して電機製作を業とする会社であり、申請人は右会社製鋼工場の工員で、同工場従業員で組織していた総同盟大阪金属労働組合田中電機製作所労働組合の役員であつて、会社から一ケ月金二〇、九四九円の割合による賃金(但し昭和三四年一月当時の平均賃金)を毎月末日に支給されていた。

二、会社は、昭和三四年一月三一日、申請人に対し、口頭で、申請人が器物を損壊し、職場秩序を紊乱したという理由で解雇する旨の意思表示をなした。

三、しかしながら右解雇は次の理由で無効である。

(一)  解雇は労働組合法第七条第一号、第三号に該当する不当労働行為である。

(1) 会社は、昭和三二年頃より事業を拡張し、同年末頃、従来五トン炉一基で操業していたのを、更に八トン炉一基を増設し、操業を拡大したため、従業員の労働は強化され、二四時間、三六時間という連続勤務を強要されていた。殊に造塊部門は最も繁忙かつ重労働で常に人員不足をきたして他部門より応援を求めていた。しかも会社は、一二時間拘束二交替制の製鋼作業を強要しながら、残業や深夜勤務、公休出勤に対しての割増賃金をも支給せず、又休憩時間もおかないというような労働基準法違反の行為を重ね、従業員は極めて劣悪な労働条件で苛酷な労働を強いられていた。

(2) そこで、申請人は、前記のような劣悪な労働条件を改善し、労働者の権利を守るため、昭和三二年六月中頃より、小野山林市、中馬節夫、林良樹らと労働組合結成の準備をすすめ、同年一二月末日、申請人、前記小野山、中馬、林並びに大薗義則らが準備委員となつて、昭和三三年一月二〇日までに組合を結成することを申し合せた。そして同月一五日、右中馬、林、大薗らが総同盟大阪金属労働組合本部で組合規約と組合員名簿を作成し、同日夜から組合加盟者を募るため、職場において署名活動を始め、翌一六日朝までに約四〇名の署名を得たので、同日、組合長大薗義則、副組合長小野山林市、その他役員を選出し、総同盟大阪金属労働組合に加入した。

(3) これに対し、会社は労働組合を極端に嫌悪し、以下に述べる如く、種々の手段を用いて組合切り崩しをはかつた。すなわち、会社は、昭和三三年一月一六日、組合結成と同時に組合長大薗及び副組合長小野山を解雇し、会社の田中専務は、同日、その理由につき波多野製鋼主任と樋口(正)職長に、「組合ができれば真面目に働こうとしている者まで煽動され、悪い影響を与えるので両名を馘にしたのだ。」と説明した。そして同月一七日、職長会議で鋼友会という御用組合の結成方針を協議し、翌一八日から職制を通じて活溌な工作を始め、同日樋口(光)、樋口(正)、谷川の三職長は、組合員藤川豊信に強要して組合脱退簿に署名させ、同月二〇日には会社は、組合に入つていない従業員に対し、鋼友会則案(その第一六条には「他の会に入会せるものの入会を認めない」旨の規程がある)を配布した。又、組合書記長中馬節夫に対しては、同月二四日に波多野製鋼主任が、同年二月二日には右波多野及び内村資材係が、それぞれ執擁に鋼友会加入と組合脱退をすすめ、右波多野は申請人に対しても同様の勧誘をなした。更に会社の田中専務は、同月四、五日頃、組合員森耕偉及び竹内健を飲酒に誘い出し、同月一二日には右森及び組合員本田彬をバーに誘つて酒を飲ませた上現金五、〇〇〇円宛を与えて、組合脱退を命じ、又同月一六日には右本田、森、竹内、中馬及び組合員山口護夫らを同様バーに連れていき、組合脱退を強要した。そうして田中専務は、最も頑強な申請人に対しては、同月二二日頃、情に訴えて懐柔をはかり、更には、同日、中馬に対し、申請人がいつまでも組合を脱退しないのなら馘にするかも知れない旨の発言をした。

(4) 以上のような会社側の組合切り崩しにより、同月二二日までに申請人を除く大半の組合員が脱落し、事実上組合は崩壊するに至つたが、その後も会社は従業員に対して労働強化を行い、同年三月三一日、秋田製鋼部長は、申請人に対し連続勤務を命じたので、申請人は、翌三一日、前記小野山及び総同盟の常任とともに労働基準監督署に赴いて右事情を訴えたところ、同監督署から会社に対して警告がなされた。又申請人は、同年六月一日及び三日に、秋田労務部長に対し残業手当支給を要求し、同月一一日、会社から一〇ケ月払いで支給を受けることに決つた。

以上の次第で、会社は組合切崩しの目的をほぼ達したけれども、申請人がいる限り組合再建の動きをおさえることができないと考え、遂に本件解雇の挙に出たもので、右解雇は、右の経過に照らし明らかに不当労働行為であつて、無効である。

(二)  解雇は権利の濫用である。

本件解雇は申請人が会社の物品を破損し、又職場秩序を紊乱したという根も葉もない理由でなされたものであるから、使用者と被使用者間の継続的法律関係における信義誠実の原則に反する権利濫用の処分であつて無効である。

四、以上の如く本件解雇は無効であつて、申請人は依然会社の従業員たる地位を有するにも拘らず、会社はこれを否定して、昭和三四年二月一日以降申請人を従業員として取扱わず、かつ賃金を支払わないので、申請人は、会社に対し、従業員地位確認並びに賃金支払の本訴を提起すべく準備中であるが、申請人は賃金のみで生活している労働者で、日々の生活費にもこと欠く状態であるから、本案判決確定をまつては回復すべからざる損害を被ることとなるので本件申請に及んだ次第である。

五、次いで、被申請人の主張に対する答弁として、次のとおり述べた。

1  被申請人主張の二(一)記載の事実中申請人は昭和三二年三月二日入社し、爾来製鋼部で造塊工として勤務したこと、昭和三三年五、六月頃、申請人は造塊工より定時工として整理部にかわり、そこで作業していたところ、同年八月二八日、造塊部に欠員を生じ、同部に職場転換を命ぜられたが、これに応じず、同月三〇日、三一日には無断欠勤し、同年九月一日には上長の指示に従わず、整理作業に従事したこと、同年二九日、起重機工欠員のため申請人は同見習工として職場転換を命ぜられ、同職場で従業することになつたことはいずれも認めるが、その余の事実は争う。しかし申請人が造塊部への職場転換に応じなかつたのは次のような事情によるものである。すなわち、造塊部の作業は重労働で、しかも一二時間拘束二交替制で連続勤務をも強要される状態であり、申請人が同部より整理部に転じたのも、前記申請人からの訴えにより西野田労働基準監督署長から会社宛に警告がなされた結果であつた。しかるに会社は、同年八月二八日、右警告を無視して再び申請人を造塊部へ転換させようとしたので申請人はこれに応じなかつたのである。無断欠勤については、従来から会社には事前届出の制度、慣行もなく、出勤後報告する場合も多く、二、三日の欠勤では理由の届出すらなしですまされることが少くなかつた。又、職場離脱については、造塊部門では定つた休憩時間がなかつたので、従業員は適宜外へ出て休み、辛うじて疲労による衰弱を防いでいたもので、起重機部門でも余りにほこりが多いため、玉寄職長も仕事がすんだらすぐに起重機を降りるように常々指示していたほどである。そして右事情による場合のほか被申請人主張の如き職場離脱、応答不明確という事実は存しない。

2  被申請人主張の二(二)記載の事実中申請人は昭和三三年一二月二〇日、第一電気炉工場において、投石によつて窓ガラス三枚を破損したことは認めるが、その余の事実は争う。申請人が窓ガラスを破つたのは次のような事情によるものである。すなわち、右工場は常に鉄屑、砂ほこり、石炭粉末等が入り混つて立ち込め、雨天のときには起重機操車台から下が見えないほどで、極めて息苦しく、天井に近い起重機操車台では特に体にこたえるので石田資材課長も同年五月頃、玉寄職長を通じて、起重機工は息苦しくなつてきたときには天井のギヤラリーを外してもいいという許可を与えていた。工場にガスが充満してきたときには起重機工は退避に時間がかかるから、非常の際には応急的に天窓を割つて急場をしのぐことは緊急避難として当然認められることである。現に同年七月七日、起重機工の篠原博は起重機操車中煙にむせたため天井のガラスを割つて危く難を避けたが、何らとがめられることはなかつたし、中馬節夫も同年五月整理部工場で起重機操車中同様事態のため明りとり窓ガラスをハンマーで全部割つた。申請人は、当時夜勤で、起重機に乗り操車中であつたが、右の如き事情のためにガラスを割つたもので、このことを知つた波多野主任は、申請人に対し、現場で、今後は断つてから外すよう一言注意をしただけで終つたのである。

3  被申請人主張の二(三)記載の経歴詐称の事実は否認する。申請人は中央燃料株式会社の三重県一志郡美杉村奥津出張所に木材工として勤務していたものである。

4  被申請人主張の三記載の事実は争う。申請人は、昭和三四年一〇月頃から現在に至るまで、吉田稔及び秋山のあつせんで、日雇労務者として各所の工事現場で雑役労務に従事し、日給四五〇円ないし八〇〇円(おおよそ昭和三四年末までは四五〇円、昭和三五年一月ないし六月頃は六〇〇円、昭和三六年一月ないし六月頃は七〇〇円、同年八月以後八〇〇円)の収入を得ていたが、雨天、疾病などのため一ケ月の就労日数は平均一七日位で、一ケ月平均一〇、六七〇円余りの収入であつた。

被申請人は民法第五三六条第二項但書による控除を主張するが、労働者の賃金債権は市民法的に理解すべきものではなく、労働者の生活権の問題として強い社会法的保障を受けているもので、そもそも労働者の賃金については民法第五三六条第二項但書の適用は排除されている趣旨と解すべきである。仮に適用があるとしても、民法第五三六条第二項但書にいわゆる「自己の債務を免れたるに因りて利益を得たるとき」とは債務を免れたことと利益を得たことが相当因果関係の範囲にある場合に限られることが明白であり、従つて本件の場合の如く生活維持の必要上やむなくアルバイト的労務に服することによつて得た収入をもつて償還すべき利益とはいえない。とくに不当解雇を労働者が争つている場合には法廷闘争や仲間に対する支援要請活動などに多大の労力をついやすものであり、その間に他に労務を提供する場合は通常の労働力消費とは比較にならない肉体的精神的負担を要するから、これをもつて自己の債務を免れたことによつて通常得る利益とは到底解しえない。仮りに右主張が認められないとしても利益償還は広義における不当利得の観念から認められたもので、使用者は個別的に労働者に利益の償還を請求すべきであつて、反対給付たる未払賃金から当然に控除することはできない。そして通常の場合債権者は反対給付と対等額において相殺することが許されるとしても、労働者の賃金については、労働基準法第二四条により相殺が禁じられているのである。

5  被申請人主張の四記載の事実中申請人は六ケ月間失業保険金を受けたことは認めるがその余の事実は争う。申請人は解雇後右4記載のとおりの収入を得ていたけれども、右金額は申請人の解雇前の住居、光熱費と食費の合計にも及ばず、衣服費、文化、娯楽費、交際費、医療費等を捻出する余地なく、最低限度の文化生活さえ保障しえないものであるのみならず、日雇労務による収入は極めて不安定なものであり、いつ収入の道をとざされるかも知れない状態にあるから本件仮処分の必要性は明らかに存するものというべきである。(疎明省略)

第二、被申請人の主張

被申請人訴訟代理人は、「申請人の申請を却下する。申請費用は申請人の負担とする。」との判決を求め、答弁として、次のとおり述べた。

一、申請人主張の一記載の事実中申請人が会社から一ケ月金二〇、九四九円の割合による賃金(但し昭和三四年一月当時の平均賃金)を毎月末日に支給されていたことは認めるが、組合の存在と申請人がその役員であることは否認する。同二記載の事実は認める。同三、四記載の事実はすべて争う。

二、使用者は、法律、労働協約又は就業規則に牴触しない限り労働者を自由に解雇しうるもので、解雇権の発動にあたつては、従業員が企業の生産性に寄与せず有機的全体としての経営秩序を乱す等一応社会通念上解雇を正当づける理由があれば足りるものというべきところ、本件解雇(普通解雇)は以下述べるように就業規則第五六条第五号、第五五条第五号にもとずいてなしたもので有効である。

(一)  勤務状態不良の事実

申請人は、昭和三二年三月二日、入社し、爾来製鋼部で造塊工として勤務していた。ところが、昭和三三年五、六月頃申請人は造塊部における残業を拒否したので、会社は申請人を定時工として整理部にうつし、そこで作業をさせていたが、同年八月二八日、造塊部に欠員を生じ、緊急を要したので、申請人に同部へ一時的に職場転換を命じたところ、申請人はこれに対して諾否せず、同月三〇日、三一日には無断欠勤して同部の作業を拒否し、同年九月一日には上長の指示に従わず、整理作業に従事した。その後同月二九日、会社は、起重機工欠員のため、申請人を同見習工として職場転換を命じ、申請人は同職場で従業することとなつた。右造塊部門の各作業並びに起重機作業は一連した機動的な連けいを持つており、従業員の緊密な呼吸の合致と合図応答の明確さが絶対に必要であり、これを欠くときは直ちに全作業に渋滞と危険を生ぜしめ作業効率と工場の安全管理に多大の悪影響を及ぼすことになるが、申請人は造塊部でも起重機就業となつてからも、応答が不明確で合図もせず、又起重機操業中擅にしばしば職場を離脱し、所在不明となり、その都度上長より注意してもこれを改めなかつたもので、申請人のかかる態度は、同職場の他の従業員に事故発生の危険、不安感を与えていた。申請人の右行為は就業規則第五六条第五号の「正当な理由なく上長の指示に従わないとき又は職場の秩序を紊した時」に該当する。

(二)  工場窓ガラスの破壊の事実

申請人は、昭和三三年一二月二〇日午前三時頃、第一電気炉工場において、他の従業員の目前で、故意に同工場内の明りとり窓ガラスに投石し、ガラス三枚を破損し、これに対して上長より注意されても反省せず殊更に反抗的態度をとつた。申請人の右行為は就業規則第五五条第五号の「故意又は重大なる過失により建物機械工作物其の他の物品を破損紛失した時」に該当する。

(三)  経歴詐称の事実

なお右のほか、申請人は履歴書に職歴として、昭和三一年六月から昭和三二年二月二八日まで三重県一志郡一志村浮津大阪中央燃料株式会社に入社勤務した旨記載しているが、同社は三重県一志郡には本店は勿論、支店又は工場を設置したことなく、申請人を雇用したこともないことが判明した。

以上のような申請人の勤務状態のため、工場の作業効率と労務安全管理の見地から、就業規則にもとずき申請人を普通解雇に処したものであるから、本件解雇は有効である。

三、(一) 仮りに右主張が認められないとしても、申請人は、昭和三四年六月から小島金属工業株式会社の下請業者である吉田稔方に現場人夫の監督及び雑役労務として雇われ、爾来月収平均金二〇、〇〇〇円程を得ていたもので、右は申請人が会社から解雇され、労務の給付ができなくなつたため、その間吉田方に雇われて得た収入であつて、民法第五三六条第二項但書にいわゆる「自己の債務を免れたるに因りて得たる利益」に該当し、償還すべき性質のものであるから、申請人の賃金請求権は右償還すべき金額だけ控除減額さるべきである。

(二) 申請人は解雇予告手当として、金二四、五四四円を受領しているから、賃金請求権から更に右金額だけ減額されねばならない。

四、本件仮処分にはその必要性が存しない。その理由は次に述べるとおりである。すなわち、申請人は、前記のとおり解雇後六ケ月間失業保険金を受取り、しかも同年六月からは吉田稔の工事場に就業し、爾来現在に至るまで月平均二〇、〇〇〇円の定収入を得ていて、その生活は安定しているのであるから仮処分の必要性はないといわねばならない。仮に右主張が理由がなく申請人の生活がその主張のように困窮の状態にあるとしても、申請人が復職することになると、申請人の誠意なき作業態度から見て、同職場の他の従業員は協同作業上絶えず危険と不安の念にかられることになるし、会社は工場の安全管理につき絶えず注意と監視を払わねばならなくなり、そのため作業効率に及ぼす影響は甚大で、これにより会社の被る損害は、申請人の損害とは比較にならないものであるし、他方申請人の賃金請求権は後日解雇無効確認後その支払を受けることにより容易に回復しうるものであり、かつ又申請人はその所属組合から応急的救済を受けることも容易であるから、このような事情を較量すると、本件仮処分につきその必要性ありとはなし得ない。又申請人は解雇後直ちにその救済手段を採り得たのにかかわらず、約八ケ月間これを放置し、昭和三四年九月二二日始めて本件申請に及んだ次第であるから解雇後八ケ月経過してから生活に脅威を感じたとしてもそれは申請人自らが招いた緊急状態であつてこれをもつて仮処分の必要性ありとはいえない。(疎明省略)

理由

一、申請人は、昭和三二年三月二日、被申請会社に入社し、会社から一ケ月金二〇、九四九円の割合による賃金(但し昭和三四年一月当時の平均賃金)を毎月末日に支給されていたこと、会社は、昭和三四年一月三一日、申請人に対し、口頭で、申請人が器物を損壊し、職場秩序を紊乱したという理由で解雇する旨の意思表示をなしたことは当事者間に争いがない。

二、申請人は右解雇は不当労働行為である旨主張するので以下不当労働行為の成否につき検討する。

(一)  解雇に至るまでの事情

成立につき争いのない甲第三号証並びに証人森耕偉、同大薗義則、同中馬節夫、同篠原博、同秋田三郎並びに申請人本人尋問の結果を綜合すると次の事実が一応認められる。

(1)  会社はスクラツプからインゴツト(鋼塊)を製作していたが、昭和三二年当時、昼勤が午前八時から午後八時まで、夜勤が午後八時から午前八時までの一二時間勤務二交替制をとつており、従業員は、ときには三六時間ぶつ続けの連続勤務をしなければならないこともあり、又休日もなく日曜日にも出勤を要求されたにも拘らず、超過勤務手当、深夜手当、休日手当なども支給されず、労働条件は極めて悪い状態であつた。

(2)  そこで、昭和三二年夏頃、会社電機部従業員の大薗義則から労働組合結成の話がもち出され、右大薗、申請人及び従業員中馬節夫、小野山、林の五名が中心となつて、組合結成の準備をすすめ、同年一二月頃に、右五名が準備委員として、昭和三三年一月二〇日頃までに組合結成の見通しを立て、同月一五日、右大薗、中馬、林らが総同盟大阪金属労働組合へ相談に赴き、そこで、組合結成の署名簿を作り、同日夜から前記五名が中心となつて各職場を廻つて組合結成の署名をとり、翌一六日朝にかけて製鋼工場の従業員約七〇名のうち四〇名位の署名を得、組合規約を配布して、総同盟大阪金属労働組合田中電機製作所労働組合を結成したが、その際組合役員は結成大会を開くまでは前記五名の準備委員が代行するとの了解を得、組合長大薗、副組合長小野山、書記長中馬と定め、申請人は会計監査となつた。

(3)  これに対し、会社は、昭和三三年一月一六日夜、経営不振で企業を縮少するためとの理由で組合長大薗、副組合長小野山に解雇を言渡し、翌一七日、職長会議で鋼友会という製鋼工場従業員の親睦会の結成を決め、その後職長、組長らは自ら卒先して同会に入会するとともに、同会則案(その第一六条には「工場内の他の会に入会せるものは本会に入会を認めず」との規定がある)を配布して他の組合員などの入会を勧誘した。すなわち玉寄職長は、組合員森耕偉に、「急に労働組合を作るよりも一応鋼友会を作つて後にはこれを労働組合にしていくつもりだから。」などといつて、入会を勧誘し、このため森は鋼友会発足式に出席したが、更に会社の田中専務や波多野製鋼主任にすすめられて、同年二月二日、組合を脱退するに至つた。又、造塊部の樋口正治職長は、組合員篠原博に鋼友会加入をすすめ、同人は組合はなくなつて鋼友会にかわつたものと思い込んで同会に入つた。そして同年一月末頃、樋口兄弟、谷川の三職長は、組合員藤川にすすめて組合を脱退させ、又中馬書記長に対しても、その頃、右波多野が組合脱退を求め、同年二月初頃には、右波多野及び内村資材係が「組合に入つていると会社をやめねばならない。」などといつて、強く組合脱退を要求し、右波多野は申請人に対しても同様組合脱退と鋼友会加入をすすめた。のみならず、田中専務は同月中頃、バー「花束」へ前記中馬、森及び山口らをつれていつて、そこでも同様の勧誘をなし、中馬は結局同月二〇日頃に組合を脱退した。右のような会社側の組合切り崩し工作のため、同月末頃には組合員は申請人のみとなり、組合は事実上崩壊した。

(4)  その後、同年四、五月頃、申請人は、造塊部で朝八時から夜八時までの昼勤を終えたところを秋田製鋼部長から連続勤務を命ぜられ、結局二四時間の連続勤務に従事したが、その翌日、申請人は、労働基準監督署に右事情を訴えたところ、同監督署から会社に対し警告がなされその結果申請人は、同年六月頃、秋田製鋼部長から整理部に移るよう命ぜられ、かつ同人から、今後休日出勤や残業をしなくてもよい旨告げられた。又会社は労働基準監督署からの警告により、割増賃金をも支給することとなり、同年七月から一〇回に分けてこれを支払つた。

そして右認定を左右するに足る疎明資料は他に存しない。

右の事実によれば、申請人は、会社の劣悪な労働条件を改善するため、労働組合の結成を積極的に推進し、これを実現したものの一人であつて、労働条件の改善につき熱心な活動を行つていたものであること、会社は、組合の存在を極度に嫌悪し、種々の術策を弄して組合を壊滅させることに成功したけれども、会社の働きかけにも拘らず、唯一人最後まで組合脱退に応じず、労働条件改善に努めた申請人に対しては、少なからず不快の念を抱くとともに、申請人による将来の組合の再建を恐れていたことを推認することができる。

(二)  被申請人主張の解雇事由について

被申請人は、本件解雇は申請人に被申請人主張のような就業規則第五六条第五号、第五五条第五号に該当する行為があつたから有効である旨主張するので、この点について検討する。

成立につき争いのない乙第一号証によれば、会社の就業規則第五六条には、「従業員が次の各号の一に該当するときは懲戒解雇する。但し情状により出勤停止又は譴責に止める事がある。」と規定され、その第五号に「正当な理由なく上長の指示に従わないとき又は職場秩序を紊した時」と定められていること、右規則第五五条には、「従業員が左の各号の一に該当する場合は譴責、減給、出勤停止、役立降下又は諭旨解職する。」と規定され、その第五号に「故意又は重大な過失により建物機械工作物其の他の物品を破損紛失した時及会社に損害を与えた時」と定められていることが一応認められるところであるが、被申請人主張のような事由が、果して申請人を解雇する原因となつたかどうかについて以下に順に考察することとする。

(1)  勤務状態の不良の点について

(イ) 申請人は、昭和三二年三月二日入社以来製鋼部で造塊工として勤務したこと、昭和三三年五、六月頃、造塊工より定時工として整理部にかわり、そこで作業していたところ、同年八月二八日造塊部に欠員を生じ、同部に職場転換を命ぜられたが、これに応じず、同月三〇日、三一日には無断欠勤し、同年九月一日には上長の指示に従わず、整理作業に従事したこと、同月二九日、起重機工欠員のため、申請人は同見習工として職場転換を命ぜられ、同職場で従業することになつたことはいずれも当事者間に争いがない。

そして申請人が上長の指示に従わず、職場転換を拒否したことについては、前記(二、(一)(1)(4))認定の如く、造塊部は一二時間勤務二交替制で連続勤務をも強要される状態であり、申請人が、昭和三三年六月頃、同部より定時工として整理部に転じたのは、申請人が右の如き労働条件について労働基準監督署に訴えた結果、同監督署より会社に対して警告がなされたためであつたにも拘らず、会社は、同年八月二八日に再び申請人に造塊部への配置転換を命じたので、申請人はこれに応じなかつたものである。そしてかかる経過の後で、しかも整理部へ転換してからわずか二ケ月余りの後に再びもとの造塊部にもどるよう命じたことなどの事情を考慮すれば、会社としても、造塊部の労働条件が従前とは異り改善されるべきことの保証を与え、或いは配置転換が必要やむをえないものである旨の説明をするなどの手段により、申請人の納得を得るよう努めるべきであると考えられるのに、かかる努力をしたことを認めうる疎明資料はないから、申請人が右配置転換の命令に従わなかつた行為には無理からぬものがあると考えられるし、かつ申請人の右拒否により会社の作業に特に混乱を生ぜしめたことを認めうる疎明資料もないのみならず、申請人の拒否により、会社は前記のとおりそのまま申請人を整理作業に従事させ、その後起重機部へ転換させているところからみれば、かかる行為があつたことを理由として今更申請人を解雇するとは到底いえないところであるし、又無断欠勤については同月三〇日及び三一日の連続二日間に亘つているが、一回の行為であるし、証人森耕偉、同中馬節夫の各証言並びに申請人本人尋問の結果を綜合して認められる、申請人が無断欠勤をした当時、会社には正式の欠勤手続は定められておらず、従業員はすべて届出なく欠勤していた実情であり、爾後にも必ずしも欠勤事由の報告をしないことが一般で、これに対して会社は、かつて何らとがめたこともなく、申請人も右無断欠勤につき何らの注意をも受けていないこと(右認定に反する疎明資料はない)から見て、右の事由も又右規則第五六条第五号に該当するとして解雇を決定づける事由となしえないことは明らかである。

(ロ) 申請人は、応答が不明確で合図もしないため、機動的な連けい作業に危険、不安感を与えた旨の被申請人主張事実は本件全疎明資料によつてもこれを認めることはできない。

(ハ) 証人樋口正治の証言によれば、申請人は、起重機作業に従事中、一度電気炉にスクラツプを挿入する時間に起重機運転室を離れていたため、右樋口に注意を受けたことがあることが一応認められる(申請人本人尋問の結果中右認定に反する部分はたやすく措信し難いところである)が、右事実のほかには、被申請人主張のように申請人が起重機操業中擅にしばしば職場を離脱して所在不明になり、その都度上長より注意しても、これを改めなかつたとの事実は本件全疎明資料によつてもこれを認めるに足りない。

ところで証人森耕偉、同中馬節夫、同篠原博の各証言を綜合すると、申請人が起重機部にいた当時、同部では休憩時間が定められておらず、スクラツプを電気炉に挿入してから、次のスクラツプを原料部が起重機に積込むまでの二〇分ないし三〇分の仕事の間隙を利用して、各自別々に休憩し、又は食事をとるといつた実情にあつたことが一応認められる(他に右認定を左右するに足る疎明資料はない。)から、右の如き事情の下において、申請人が、わずか一回、たまたま起重機操業の際に運転台に見当らなかつたことがあつたからといつて、これを右規則第五六条第五号にいわゆる「職場秩序を紊した」というに当るとして解雇を決定したとは到底いえない。

(2)  工場窓ガラス破壊の点について

申請人は、昭和三三年一二月二〇日、第一電気炉工場において投石によつて窓ガラス三枚を破損したことは当事者間に争いがないが、証人森耕偉、同中馬節夫、同篠原博の各証言並びに申請人本人尋問の結果を綜合すると、会社の製鋼工場は天井が低く、ためにスクラツプを電気炉に挿入した際に出る石炭のほこりが工場内に立ち込め、特にスクラツプ挿入の際起重機は電気炉の真上にくるが、その運転台には窓ガラスが入つていなかつたため、運転に従事するものは極めて息苦しい状態であつたこと、かつて起重機工篠原博は、煙が多く、起重機に乗つていられなくなり、起重機を伝い上つて天井の窓ガラスを割つて煙を外へ出したことがあつたが、会社はこれを知りながら何らの注意をもしなかつたこと、申請人が割つた日は曇つていて、煙が外へ出ないと起重機から下が見えにくい程の状態であつたので、下から投石して既に割れ目のあつたガラスを割つたのであるが、その際付近には人もおらず、ガラスを割つても特に危険もない状態であり、これを目撃していた波多野製鋼主任は申請人に対し、「黙つて割つてはいけない。今後はことわつてはずしてもらうように。」とその場で一言注意しただけであつたことなどが一応認められ、証人谷川貞成の証言中右認定に反する部分はたやすく措信できないし、他に右認定を左右しうべき疎明資料はない。右事実によれば、申請人は起重機の下から投石してガラスを割つたものであつて、右行為は、必ずしも、緊急やむをえなかつたものということはできないけれども、右の如き工場内の不衛生な状態を考慮に入れると、本件ガラス破損行為について、会社も、右行為を惹起する原因につき一半の責を免れ難く、申請人のみを一方的に責めることは酷であるのみならず、前記篠原及び申請人に対する会社側の態度からみて、会社も右事情の下においてガラスを損壊することについては、さして強く禁止することなく、むしろ或る程度はやむをえないものとして黙認していたことがうかがわれる。この事実に申請人が上長の注意を受けても反省せず殊更に反抗的態度をとつたとの被申請人主張事実については、本件全疎明資料によつても認めることができないこと、又先に見たところから明らかなように申請人の前記行為による会社の損害も割目のあるようなガラス三枚で極めて軽微であることを合わせ考えると、右行為は一応は右規則第五五条第五号に該当するけれども、これが解雇を決定づけた事実と見ることは到底できない。

(3)  経歴詐称の点について

成立につき争いのない乙第二号証によれば、申請人が会社に提出した履歴書には、申請人は昭和三一年六月三重県一志郡一志村浮津大阪中央燃料株式会社に入社し、昭和三二年二月二八日退社した旨記載されていることが認められるが、申請人本人尋問の結果により真正に成立したものと認める甲第六号証によれば、申請人は昭和三一年七月から昭和三二年二月末日まで大阪中央燃料株式会社三重県事業場に勤務したことが一応認められ、他に右認定に反する証拠はない。もつとも証人秋田三郎の証言により、真正に成立したものと認める乙第三、四号証には申請人が大阪中央燃料株式会社に勤務していたことがない旨の記載があるが、右甲第六号証と対比すると右乙第三、四号証の大阪中央燃料株式会社は申請人が勤務していた前記会社とは同名の別会社であることが認められるから、右乙第三、四号証の存在は必ずしも右認定の妨げになるものではない。そうだとすると履歴書記載事実は虚偽のものではないから被申請人の経歴詐称の主張は理由がない。

(三)  右(二)に認定したところと、前記(一)記載の事実、すなわち申請人が労働組合の結成を積極的に推進してこれを実現し、会社の労働条件の改善に努力したこと、会社は、組合の存在を極度に嫌悪し、唯一人最後まで組合にとどまつて労働条件改善に努めた申請人に不快の念を抱き、申請人による将来の組合の再建を恐れていたことなどとを綜合すると、会社の主張する解雇理由は単に表面的な口実であつて、会社が申請人を解雇するに至つた真の動機は、申請人の過去における組合結成活動を嫌悪し、かつ申請人の将来の組合再建活動を未然に阻止しようと意図したことにあると認めるのが相当であるから、申請人のその余の主張につき判断するまでもなく、本件解雇は労働組合法第七条第一号に該当する不当労働行為であつて無効である。

三、以上の次第で、申請人は依然会社の従業員たる地位を有するものというべきであり、申請人は会社から一ケ月金二〇、九四九円の割合による賃金(但し昭和三四年一月当時の平均賃金)を毎月末日に支給されていたことは、右一、記載のとおり、当事者間に争いがないところであるが、会社は同年二月一日以降申請人を従業員として取扱わず、かつ同日以降の賃金の支払を拒んでいることは弁論の全趣旨に照らして明らかであるから、申請人は、会社に対し、同年二月一日以降、毎月末日限り一ケ月金二〇、九四九円の割合による賃金を請求しうるものというべきである。被申請人は、申請人が解雇後の昭和三四年六月から他に就職して得た利益、並びに会社から支払を受けた解雇予告手当を右賃金額から控除すべきである旨主張するので、以下この点につき判断する。

(一)  他に就職して得た利益の控除について

申請人本人尋問の結果によると、申請人は、昭和三四年一〇月一六、七日頃から、昭和三五年三月までは小島金属株式会社の下請をしている吉田に雇われ、その後は、以前右吉田方で働いていた秋山が独立して仕事を始めるようになつたので、同人に雇われ、建築工事の手伝をしていたこと、賃金は日給で、一五日計算で支払われ、当初は一日四五〇円であつたが、順次五〇円ずつ昇給し、昭和三六年一〇月からは一日八〇〇円となつているけれども、雨天のときなどは仕事がなく、従つて、実際に仕事をする日は、多いときで月二〇日位、少いときは月一四日位しかなかつたことが一応認められ、書面の趣旨、形式により真正に成立したものと認める乙第五ないし八号証のうち右認定に反する部分はたやすく措信し難く他に右認定を左右しうべき疎明資料は存しない。そこで右の収入は民法第五三六条第二項但書にいわゆる「自己の債務を免れたるに因りて得たる利益」に該当し、会社から支払を受くべき賃金額から控除さるべきである旨の被申請人の主張につき考える。申請人は、労働者の賃金については民法第五三六条第二項但書の適用は排除される旨主張するが、双務契約たる雇用契約から生ずる労務給付義務及び賃金支払義務についても、民法の危険負担の原則は当然適用があるものというべきであるから、申請人の右主張は理由がない。そこで前記収入が民法第五三六条第二項但書にいわゆる「債務を免れたるに因りて得たる利益」に当るか否かにつき考えてみるに右法条にいう「債務を免れたるに因り得たる利益」とは債務を免れたこと自体から直接得た利益をいうものであつて、債務の免脱を利用して得たものであつても別個の原因により得た利益つまり債務の免脱と相当因果関係のない利益は包含されないものと解するを相当とするところ、本件における申請人の前記解雇後の収入は、会社に勤めていてもなしうる程度の副業的な労務に従事したことによつて得たものとはいえず、従つて、かかる収入は、会社に対する債務、すなわち労務給付義務を免れなかつたならば得られなかつたであろうという意味において、右債務免脱と収入との間には因果関係が存するもので、しかも前記の収入は労働者が就労した場合には、通常得られる程度のものであるといわなければならないけれども、一般に、現時の社会状態の下においては、解雇、ことに本件における如く組合運動を理由とする解雇により就業を拒否された者が、その解雇を争いながら、他に職を求めることの極めて困難であるとの顕著な事実と、かかる被解雇者が再就職することは、むしろ異常な努力をはらうことによつてのみ可能であるという事実に照すときは、他へ再就職することによつて得た収入は、労務給付義務を免れ、これにより得た時間を利用したのではあつても、これとは別個の原因、即ち新たな雇用契約を締結したことによつて得た利益として、債務の免脱とは相当因果関係を有しないものと解するを相当とする。もつとも、右の如く解すると被解雇者は、解雇を受けなかつた場合よりも、より多くの利益を得ることになつて不合理であるようにも見えるけれども、賃金のみによつて生計を維持しなければならない労働者にとつて、解雇により受ける経済的或いは精神的な苦痛は極めて大きいこと、前記の如く再就職のためには、通常の就職の場合には不必要な、異常な努力を要することなどの事情を考慮に入れるならば、労働者が辛うじて自己の生存を維持する程度の賃金を得ることを目して、必ずしも原状回復以上の利得で不合理であるとはいえないのみならず、右の如く解しないならば、解雇後復職までの間他において働いた者の方が、右の如き再就職の努力を払わず、無為に過した者よりも不利になり、又雇用者としても、被解雇者が、再就職するか否かといつた、もつぱら労働者の意思、努力によつて決せられるべき事情によつて、償還を受けうるか否かが決せられるという極めて不合理な結果となることを避け難いのである。そうだとすると申請人の前記収入は、民法第五三六条第二項但書にいわゆる「自己の債務を免れたるによつて得たる利益」とはいえないから申請人のその余の主張につき判断するまでもなく、申請人の会社に対する賃金債権額から右利益額を控除すべき旨の被申請人の主張は理由がない。

(二)  解雇予告手当の控除について

申請人本人尋問の結果によると、申請人は、昭和三四年三月二日頃、会社の秋田総務部長に対し、解雇を承認したのではない旨を断つた上、会社が、解雇予告手当として供託した金二四、五四四円を受領したことが一応認められる。被申請人は右金額は会社から支払われるべき賃金額から控除さるべきである旨主張するので、この点につき考えると、解雇予告手当は、解雇予告の場合に、なお三〇日分の賃金を支払うべきであるのに代えて、予め三〇日分の平均賃金を支給するという制度であるから賃金に準ずる性質をもつものではあるけれども、賃金債権に代るものではないから、解雇が無効とされた場合申請人の賃金請求権額は右予告手当金相当額を控除した残額となるとの筋合はない。従つて被申請人のこの点の主張は採用し難い。

四、仮処分の必要性について

解雇が無効であると認められるにかかわらず解雇によつて職を失つたものとして取扱われ賃金の支払を受けられないことは、労働者にとつて耐えられない苦痛であるとともに生活の途を失うことになるから、たとえ労働者が生活維持の一時的手段として就職し、その収入により生計を維持して来たとしても、現時の社会事情に照すときは、そのことにより労働者が受ける物心両面における不利益、損害が甚大であることは容易に肯けるところであるから、従前の職に復帰する希望を有する以上、他に就職して収入を得ているという事だけでその地位保全並びに賃金仮払に関する仮処分の必要性がないとはいえない。もつとも賃金債権については被申請人主張のように本案を待つて支払を受けてもその目的を達し得られるようであるが、本案判決あるまでに相当の日数を要し、その間労働者は著しい不利益な地位に置かれるから、後日権利の実現を得られるとしても、賃金債権が労働者の生活の日々の源泉である点に思いを至すときは、それは形の上で権利実現の目的を達したゞけで真に救済を得たものとなし得ないから現在において仮の権利の実現を許し、一時的満足を得させる必要があると解するを妥当とする。そして申請人本人尋問の結果により認められる、申請人は、解雇後一年ほどは極めて苦しい生活を続けてきており、借金や、将来復職の際には返還すべきこととなる解雇予告手当及び失業保険金などにより辛うじて一時しのぎの生活をなしてきたこと、救済金を受けるべき組合もすでに存在しないこと、又前記の如く一応職についているとはいえ、日雇労務であつて何ら身分の保証なく、雨天や病気の際には直ちに収入の道を失うこととなるばかりでなく、いつ解雇されるかも知れないような極めて不安定な立場にあること、及び会社が申請人の復職により工場の管理に支障をきたし、作業上の危険、不安を招来するとの点については何ら疎明のないことをかれこれ考え合わせると、被申請人主張のように申請人が前記認定のような収入を得ていることを理由に直ちに本件仮処分の必要がないとは断定できない。

なお被申請人は、申請人は解雇後八ケ月を経過した後本件仮処分の申請をしたものであるから生活の脅威を感じたとしてもそれは自から招いたものであるから、本件仮処分の必要性はない旨主張するが申請人が被つている生活上の苦痛及び困難は、会社の解雇に由来するものであつて申請人自から招いたものではないから、この点の被申請人の主張は採用することができない。

そこで仮払を命ずべき金額について考えるに、申請人が本件解雇後生計を維持するに相当の苦労と犠牲を払つて来たのにかかわらず、現在に至るまで何ら償われていないこと、将来の生計も必ずしも安定したものといい得ないこと、その他既に認定した諸事実を綜合し、既に履行期の到来した昭和三四年二月一日から昭和三七年一月末日までの間に受けうべき平均賃金の合計額のうち金五〇四、〇〇〇円(月一四、〇〇〇円の割)及び昭和三七年二月一日から毎月末日限り一ケ月金二〇、九四九円の平均賃金のうち金一四、〇〇〇円の支払を求める限度において正当といわねばならない。

五、よつて申請人の本件仮処分申請は地位保全の点及び金員仮払請求の中、上記の範囲において理由があるから保証を立てしめずしてこれを認容し、その余を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 中島孝信 荻田健治郎 山本矩夫)

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